持論 障害とは伸びしろと成長速度なのではないか?

今回は私が思う障害とは何かについてお話しようと思います。

これはあくまでも私の意見であり別に医学的なエビデンスがあるわけではありません。しかし、あながち間違ってないと思うので記事にしました。

どうか読んでください。

Contents

まずは、結論まとめ

できれば最後まで読んでいただきたいですが、長文はしんどいという方もいるので、まずは結論からお話します。

結論ですが、

私は、成長の伸び代や速度が極端に遅いものが障害だと思っています。だから自分で見極めて工夫したり、他の場所で勝負するか判断することが大切だと考えています。それこそがこのブログの原点です

ということです。

詳しくはこの後の文章で書いていきますのでよろしければ読んでください

伸びしろと成長速度とは?

ここではまず、「伸びしろ」と「成長速度」についてそれぞれがどういうものかご説明させていただきます。

どちらかもしくは両方の値が低いとどうしても社会生活に支障が出るのではないかと私は考えています。

「伸びしろ」とはどういうことなのか?

これは努力して自分がたどり着ける限界値です。例えば、経済的な事情を抜きにして、どんなに努力しても東京大学や世界の有名大学に入れる人は多くはいません。少なくとも私には無理です。しかし努力してそれなりの大学に入ることはできました。

伸びしろは人それぞれ違います。

例えば、とても努力して、「偏差値50の大学に入れる」「高校卒業レベルの知識を身につけることができる」であれば障害とは言えないかもしれません。

しかし、どんなに努力しても小学校低学年でする掛け算の問題が解けない。この場合はこの人の算数の伸びしろ(限界値)は小学校低学年ということになり生活に支障をきたすでしょう。

このように伸びしろが極端に少なく、どんなに努力しても成長できる幅がとても少ないものは障害だと思っています。

「成長速度」とはどういうことなのか

同様に成長速度が極端に遅いものも私は障害になりうると思います。

例えどんなに伸びしろがあっても成長までにとても時間がかかったらどうでしょうか?

「人生の全てを捧げ死ぬ気で努力すれば世界一の大学に入ることができる」という伸びしろを持っているが人より5倍の時間を要する人はどうでしょうか?

小学校レベルの学力を得るのに30年、中学卒業レベルの学力を得るのに15年、高校卒業レベルをマスターし世界一の大学に入るための学力を得るのに15年、そして大学を卒業するのに20年。

確かに成長はできていますが、ずっと勉強をしていてこの成果は素晴らしいことなのでしょうか?

私はこれはこれで障害だと思っています。
社会では決められたタイミングで決められたパフォーマンスを発揮することを求められます。

したがって、このように伸びしろが人より極端にないことや成長速度が人より極端に遅いものが障害と言えると私は思っています。

大切なのは自分の伸びしろと成長速度を知ること

このどこの馬の骨ともわからない人間の障害の定義なんぞ聞くことになんの意味があるのか?と思う人もいるでしょう。

確かに大した意味はないかもしれません。

ただ大切なのはそこではないのです。重要なのは「いかに自分の伸びしろと成長速度を把握して時間や労力を伸びしろがあるところ使うか判断すること」を成長速度や伸びしろに問題があってもある程度努力するか否か判断すること」「いかに道具や人を使って己の成長速度や伸びしろに下駄を履かせるか」です。

これこそが障害を持っている人間が生き抜くためには必要だと思っています。
こんな私の定義はどうであれ、結局生き抜くためにやる事はここに集約されるのではないでしょうか。

では何をやるのか?

そのためにやる事は「自分の障害の程度をある程度予測する」「そして対策を考え実行したり、努力して障害程度(伸びしろと成長速度)を自分で決める」「さらに努力・工夫するか諦めて別のところに時間と労力を使うか決める」という流れを繰り返す事だと思っています。

この考えはこのブログの原点でもあるので、また似たような内容を書くかもしれません。

とりあえず、今後もこの考えに基づき日々工夫や努力したり、諦めて方向転換したりしていこうと思っています。

この記事が少しでも誰かの役に立てば幸いです。